大雨、仙台、傘は借り物。

大雨仙台旅行中。

1日目はChilli Beans.のライブ、
2日目は劇団四季のCatsを観る。

仙台という土地自体にはあまり関係のない旅行となってしまった。

でもね、大雨だと
伊達政宗への想いは遥か遠くへ追いやられてしまう為、そもそも伊達政宗を旅行プランへ組み込まないというのは賢い判断だったかもしれない。

母は大好きな新幹線に興奮し、
私はビールを飲み、

母はスタバの新作でテンションが上がり、
私はいつも通りのものを頼み、

母はお疲れな様子で眠り、
私は体内から日本酒がいなくなってしまったがために眠れない。

明日は何が起こるだろう。

Chilli Beans.は私が知っているChilli Beans.ではなかった。
4年以上も時が経てば、おおよそのモノは変わってしまう。

それでも私がボロボロと泣いてしまったのは、
多感で辛かった数年前、彼女たちを見つけてEPやMVをただただひとりで楽しみ、自分だけの彼女たちを心の支えにしていたからだった。

音楽的な感動、圧巻、
というより、コロナ禍(前半戦)の自分が”存在している”という実感に涙してしまったようなもの。

最近出たアルバムは、別に好みではないのだが…。
(その理由は私の変化か、彼女らの変化か、もしくはその両方か?)

当時、彼女らに助けられ、
Tremoloを聴いて涙し、lemonadeのMVをみて心を奪われ、アンドロンを聴いて真っ当な乙女心を取り戻した。

その当時の自分を消し去るかの如く、今は日常が進んでいて、
辛いことも嬉しいことも頑張りたいことも、
未だずっと全てが新しい。

敏感に察知しているが為に眠れない夜が多い。

今夜は、数年前(2020年あたり)の自分を取り戻せた。
忙しない生活の中で忘れ去られた自分を思い出したような感じ。

また数週間後もすればきっと忘れてしまうけれど。

明日はCatsを観て、もっとたくさん泣いてしまうのだと思う。


原作を読むくらい好きだった。
だった?いや、今も。

過去にとらわれるのは良くない、と誰かが言っていた。


でも過去は確実に存在していて、そこにはがむしゃらに生きていた自分も存在するわけで。

その自分を受け入れるタイミングが今なのかもしれない、大雨すぎるけどね。

伊達政宗、ごめんね。また来るわ。

コロナ禍は確実に私に色々なことを考えさせた。
Chilli Beans.は私の生活に色を添えてくれたし、
Catsは私の死生観の土台を創った。

忘れかけていた数年前、
2020から時が止まったような気がしていたのはまだあの当時の辛さを直視できていなかったからかもしれない。

今日やっと動き始めた。

大雨、仙台、傘は借り物。
日本酒美味、伊達政宗は保留、仙台GIGS案外遠い、Any Passとかいうシステムは失くせ、タクシーの運転手がフレンドリーだなぁ…

そんな感じ。

まだ眠り足りないか?むしろ眠る必要はないか。

(まさか今これが更新されるなんて思ってもいないであろう、私の愛おしい人は、今頃可愛い顔して眠っているはず。約332km先で。

気づいたら読んで下さい、おはよう。)

明日また人生を進める予定。

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