

みらいさんの愚痴聞き大会
もうすでに45分経過…
寝たいです。
しげるさんが愛を評してくれるなら、
なんでもいいよ。
絵文字ひとつでも、いまだに心は踊るのだ。



😘
それだけで幸せ。
私が見たい花火を覚えていてくれただけで、幸せ。
同伴なくなったの本当に死んで😇
私の花火どうしてくれんだよ🖕
まぁ、来年の楽しみも出来たのか…、
来年ね。また来年。

Netflixでお客さんにすすめられたドラマを観て、
ダウンタイムを見始めた。
鍋食べて、
野菜買いにスーパー行きつつ
写真回収して
ダウンタイムを引き続き観てる。
整形意欲がどんどん削がれていくなこのドラマ。
映画『市子』を観たお話。
プロポーズされた翌日に失踪した女の子
『市子』
その恋人(長谷川くん)は警察と共に彼女を捜しながら本当の市子を追っていく。
戸籍を持たない女の子が普通の女の子として生きる為の話。
無戸籍児、ヤングケアラー、貧困、性的暴行…
などなど重過ぎるテーマてんこ盛り。
これもまた邦画らしいじっとり感で湿度が高め。
戸籍を持たない『市子』が、難病の妹月子の戸籍を使い『月子』として生きていく。
その中で、行動力があり、生きる事に貪欲な市子は『市子』として生きるために、手段を選ばない。
杉咲花が演じているからなのもあるが、キャラクターとして儚げな弱者に魅せるのが上手く、謎に男2人からしっかり守ってもらい利用してしまう。
君はただのストーカーでしょ!北くん!
実際社会的に見れば、戸籍を貰えず、
難病の妹の世話をさせられ、義理の父に性的暴行されるという“可哀想”な側面はあるのだが
しっかり自分の戸籍のために人を殺すという残酷さも持ち合わせている、市子。
観ているこちらも、長谷川くんや北くんと同じなのかもしれないなと思ってしまう。
(市子の色に魅せられた男2人)
結論、確実に朝から観るものではなかった。
市子ないし月子を中心に、周りの人間達が見た彼女を振り返る構造になっていて、時系列が行ったり来たりする。
何がいつ行われた事なのかが分からなくなりそう。
きっと市子の見え方は観る人によって違う。
変わらぬ事実としてあるのは市子は自分の生活のために4人殺している。
社会からこぼれ落ちた“可哀想な子”のしょうがない殺人と捉えるのか
その場の嘘を重ねる事しか出来ず、根本解決に至らなかった自己中サイコパスと捉えるのか
4人も人が死んでおきながら、映像は淡々とじめじめと進んでいく。直接的な死を感じさせずに。
(ある意味、市子から生を感じない。それは戸籍がないからという一種の表現なのかな。そういうのはよくわかりません。)
ただ誰も市子を知らない。
市子としての市子も、
月子としての市子も、
冬子として生きる今後の市子も、
全部見え方が違う。
他の人には市子がどんな風に見えるのかが気になる。
ここまで重い話はあまりないけれども、実社会においても自分が知ってるその人と、他者から聞くその人は全く違っているように見える。
解釈が一致する事はほぼないよね。
人は、いるようでいないようなものなんだろうね。
そう考えると、市子ぐらい貪欲に自分は自分である!と存在を認めようとする事は悪くない事かもしれない。殺人は法が認めてくれないけれどもね。
大変面白かったけれども、最後の方でめちゃくちゃセミがしっかり出てくるのが個人的に無理過ぎたのでそこだけ飛ばしました。
お願いだから、セミはゴキブリと同じぐらいの規制をして下さい。
セミも含めた総合的な感想は、じっとり邦画の殻を被ったミステリーホラー映画でした。
久々にこういう映画を観ました。
大変良かった。あまり共感は得られないだろうからここにだけ。
あなたにはお勧めしません。
もーうどうにもなんないや🤷🏻♀️
っていうこの状況で、
難しい説明を聞かされた私👇

その後、いろいろ頭を悩ませた結果
なーんでこんな思いしてんだ!嫌だー!ってなった結果の私👇

一周回って、開き直って、昼間もアイス食べたのにハーゲンダッツを買ってきてもらうというギルティな私👇

以上、本日のワタシでした。
人生のレールを全てはみ出してきたタイプのダメ人間です。
今更元になんて戻れない。
乳首ですら時々はみ出てしまっているというのだから、
人生のレールなんてもっての外。
親に敷かれたレールを見事蹴散らしてきた私にとって、そのレールにきちんと乗っかっている人を見ると
時々自信がなくなったり、不安に思ったり、羨ましく思ったりします。
あーーー今レールの上だったらな…
なんて日はよくあって、
この先どうなるんだろうという不安の中毎日生きています。
でもこの選択を行ったのは、紛れもなく自分であります。
過去の自分が1番怖い。
もし、自分に子供ができたら
きっと私の親がしてくれたようにレールを敷いてあげると思うけど
蹴散らされても何も言わない気がします。
この子は同じ苦労をするんだなと、思いながらただ見守るのみ。
レールを蹴散らしたからこそ得た物は多い。
ただ、レールの上にいたらもう少しだけ先人達を見据えながら悩みを解決出来たのではないかと思う。
悩み事に終わりなどありませんが(多分死のみ)、
我が道をゆくと決めた過去の自分に胸を張れるよう、これからもレール蹴散らし人生を謳歌していきます。
ほう…
人生とは過去を正当化する作業なんだろうなきっと。
と、言うことで
今夜寝れずにぽちぽちと文章を書いて体内時計狂いまくりの私を肯定するのはきっと明日の私。
そして、アイスを食べた私も明日の私がどうにか正解にしてくれる、はず。
まぁなんとかなるっしょ、明日の私頑張れよナ。
だってこれが人生なんでしょう???
今日を許せ、過去をも。
一人暮らしの1番の難点は、
全ての責任が自分にあるという事。
すなわち諦めの落とし所がない。
郵便物を溜め込んだのも、洗濯機を回すだけ回して干さなかったのも、冷蔵庫が空なのも、洗面台の鏡に歯磨き粉の飛沫が残っているのも、
全部自分のせい。
連日美味しいものを食べすぎてニキビができるのも、酔っ払ってコンビニでたくさんアイスを買い込んだのも、靴下が片方ずつお布団から出てくるのも、
全部自分。
もしこれが愛する人の仕業だったら、
許せていたかもしれない。
ただ、ひとりで生きる以上、紛れもなく自分の仕業だ。
過去の自分は今の自分よりも遥かにポンコツである。
そして何より怖いのは、未来の自分もまたポンコツであるという事。
笑えなーい。
でも、
冷蔵庫に好きなものを目一杯詰め込めるのも、歯磨きせずに寝てしまっても良い(本当はダメ)のも、酔っ払って歌いながら眠るのも、鍋の味付けを自分だけのものにできるのも、
全部自分だけの特権。
ポンコツとの戦いであり、ポンコツへの愛の施しであるひとり暮らしとやら、
存分に楽しんでやろうと思います。